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今日の夕日 [自宅]

2011年3月24日(木曜日)
本日は、長文になります
また、明日の夕日はお休みです。
その穴埋めにNゲージ走行をアップします。
午後5時45分過ぎ、
5F自宅マンションベランダより1枚撮影し、
同じく玄関付近より1枚撮影しました。
拡大写真は、この写真をクリックしてください。
玄関付近です。
DSCN1997.JPG

ベランダです。
DSCN1998.JPG

同じく、午後5時50分ごろに撮影しました。
ベッドで熟睡中のニャンです。
撮影時のみ電気点灯。
DSCN1999.JPG
私の朝食が終了しでも、お気に入りから
出ようとしません。
ちょっと、元気がないみたいです。
9時20分、昨夜のドライの残りを
食べてしまいました、その後すぐに朝食、
いつもと同じで、缶詰のみ、しっかり食べて、
その後、じゃれます。今日はお付き合いです。
満足したのか、お気に入りへ。(14:50まで)
午後の外出から戻ると、お出迎えです。
勿論、ご飯の催促です。
午後3時、ドライ10g完食です。
しばらく、じゃれます。
また、お付き合いしました、疲れた。
その後、一端は、お気に入りに入りましたが、
なんか、まだ、お腹が空いているようで、
午後4時夕食です。
ドライも結構食べてました。そして、
ちょっと考えてからベッドへ行ってしまいました。

【記者の目】:
毎日新聞掲載ボランティアについて。
東日本大震災 「阪神」の経験から=増田宏幸

東日本大震災の被害は、
時間の経過とともに
底なしの広がりを見せている。
水、食料、薬、情報など
一刻を争う支援が求められているのに、
容易に応えられないもどかしさを
感じている人も多いだろう。
被害の全体像がいまだ明らかでない中で、
やみくもに現地に
行けばいいというものではない。
95年1月17日の阪神大震災を経験した一人として、
「ボランティア元年」と言われた阪神の経験を生かして
「何ができるか」と考えずにいられない。

 ◇実情を把握し息長い支援を
 阪神大震災の朝、
私は神戸市中央区の人工島・ポートアイランドにいた。
家族を含めけがはなかったものの、
14階建てマンションの6階にあった自宅は家具が全て倒れ、
足の踏み場もない状態だった。

 大阪社会部員だった私は会社の指示で
同じ島内にあった兵庫県警本部の仮庁舎に向かった。
県警本部は建て替え中で、刑事部、交通部などが
2階建てのプレハブに入っていた。
液状化でぬかるんだ道を自転車で走り、中に入ると、
1階の床自体が液状化して地割れを起こし、
ひざ上まで水がたまっていた。
集まってきた記者と警察官で
水と泥をくみ出すことから長い1日が始まった。
対岸の空には幾筋もの黒煙が伸びていた。

 ◇ボランティア、遠方は当面困難
 福島第1原発の事故を除いても、東日本と阪神は、
被災の形状と範囲が大きく異なる。
阪神の時は近隣の大阪などは被害が少なく、
発生直後は家族や友人を心配する人たちが、
次いで多くのボランティアが、
水や食料などの救援物資を手に徒歩で被災地に入った。
家屋の倒壊、火災はひどかったが、
東日本のように津波で根こそぎ流される状況はなかった。

 大阪YMCAなどと
「被災地の人々を応援する市民の会」をつくり、
支援に取り組んだ大阪ボランティア協会の早瀬昇・常務理事は
「ボランティアも水を飲み、トイレを使う。
阪神の現場は局地的で、
被災地の外から日帰りができた。
今回は現地までの公共交通が使えず、
車で入ってもガソリンがない。
当面、地元に負荷をかけずに活動するのは難しい」と話す。
特に単独行動は避け、
「現地に連携団体がある
NPO(非営利組織)がボランティアを募り、
バスに1週間くらい自活できる食料を積んで入るなら可能」
と厳しい条件を示す。

 災害ボランティアセンター設置など
受け入れ態勢がまだ整っていないが、
NPOや社会福祉協議会には
ボランティアや物資送付の問い合わせが殺到。
既にNPOやNGO(非政府組織)、
社会福祉協議会などが現地での情報収集と活動を始め、
早期の支援態勢構築に向け動き出している。

 ただし、医療関係者など専門職や
現地付近に生活基盤がある人以外の
ボランティアが本格的に入るには、
しばらく時間がかかるだろう。

 ではそれまでの間、私たちには何ができるだろうか。
遠隔地にいるなら、最も身近で実効性があるのは寄付だ。
寄付にも2種類あり、
義援金として被災者に届く募金と、
NPOなどへの支援金がある。
特に現地での活動をサポートする
支援金の意義はもっと知られていい。
赤い羽根共同募金には、
災害ボランティアセンターなどに対する
活動資金支援制度がある。

 当面の自衛隊などによる緊急態勢が一段落すれば、
被災地には阪神を上回る支援者が駆けつけるだろう。
その際、大災害救援の経験、
知識を持たない若者も多数参加すると思われる。
大阪ボランティア協会の永井美佳事務局次長は
「若い人は『がんばらなくては』
と思い過ぎてしんどくなることがある」と指摘。
被災者から過酷な経験を聞き、
“何もできない自分”に打ちひしがれる場合もある。
永井さんは「助言しなくていい。
少しでも気持ちが軽くなってくれれば、
というつもりで耳を傾けて」とアドバイスする。

 ◇チーム交代での現地入りは有効
 ボランティア活動の疲労などを考えると、
仲間とチームを組み、
例えば3人ずつの3グループが
1週間交代で入るといった方法も有効だ。
活動を引き継ぎ、継続できる。
阪神では企業からのボランティアが採用していたという。

 とにかく気を付けたいのは
現地に負担をかけないこと。
自活できるよう、飲食物などは極力持参する。
NPOなどが実施する事前研修も受けた方がいい。

 私自身、阪神大震災の際は
他地域から来た消防車、給水車、
物資を積んだトラックやボランティアを目にするたび、
多くの人に支えられていることを実感し、励まされた。
一瞬の地震・津波だけでなく、
命を救う取り組みはその後も長期にわたる。
できるだけ早く、
そして息長い支援が求められている。
(富山支局):毎日新聞 2011年3月24日 0時16分
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コメント 4

オールドママ

本当にその通りですね。
息の長い支援が必要!!
阪神大地震の時のボランティアの様子、そして教訓は長女から聞いて知りました。
娘も同じこと言っていました。
今だけの募金だけでなく、少しの金額でも長く支援続けることが大切!!
私もできる限り支援したいと思います。
by オールドママ (2011-03-24 18:27) 

かずあき

オールドママ さん
こんばんわ
私自身は被災はしなかったのですが
神戸方面の知人が
何人かいて。
防ぎようがない自然の地震、
その全容が明確化したあとの
ことで、とても参考になる記事でしたので
アップさせていただきました。

追記、原発は人災ですね。
by かずあき (2011-03-24 19:05) 

はくちゃん

こんばんは
現地に負担をかけない。。。大事なことなんですよね

by はくちゃん (2011-03-24 20:37) 

かずあき

はくちゃん さん
こんばんわ
若い人たちに対しての
ちょっと突っ走らないで、ブレーキを
踏んでというようなこととか、
あとは、熟年世代といえばいいんでしょうか、
そうゆう方々は、今のお仕事を
ちゃんとやって、そのなかで
あくまでも、背伸びなどせずに
力まないでできる範囲のことを
考えればいいんではないかと思うのですが。

by かずあき (2011-03-24 20:51) 

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